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今週のテーマ
会議番号:1860
自分の家族の延命治療を求めますか?
投票結果
29
71
284票
680票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2006年04月03日より
2006年04月07日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
高成田享 朝日新聞石巻支局長
今週の「アエラ」(2006年4月10日号)を読んでいたら、「呼吸器はずしは悪いのか」という記事がありました�……
議長コメントを全文読む
2日目までに届いている投稿から...
家族自身に迷いがあります (北ざくら・北海道・パートナー有・42歳)
時折、家族でこのことを話し合ってきました。はっきりと自分自身について考えを持っている者は良いのですが、両親は迷いがあると言います。私と夫は自分に何かあった場合は、きっぱりと延命治療はしないでほしいとまわりに伝えてあります。けれども、両親については、いざとなったら延命治療をお願いするしかないと考えています。
決断できない (blueooo・東京・パートナー無・25歳)
祖母が5年近く植物状態でした。入院した頃は話していました。無意識かもしれませんが、手術をして声が出ない祖母の口が「もういい、もういい」と動いているように見え、やるせない気持ちになりました。ただ、話しかければ目を大きく見開き、身体を拭くと反応していました。もし、尊厳死が認められていても、そんな祖母を「死んだ人」にする決断は家族の誰にもできませんでした。延命治療を求めるというより、人の人生を終わらせる決断は、本人以外の人間は「決断できない」と思うのです。
自分の命。でも生かされている命 (sonrisa・神奈川・パートナー無・27歳)
祖母のガンが再発したとき、個人の意思を尊重して手術はせず、延命治療もしませんでした。私自身も延命治療はして欲しくないし、家族にも伝えてあります。自分の人生を望むように生きたいと思っています。ただ、自分の命ではあるけれど、人間はひとりで生きているわけではなく、いろいろな人のおかげで「生かされている」と思うので、もし意識がなくなったときに「生きてそこにいるだけでいい」と、愛する人達が強く願うなら、その人達のために延命治療を受けてもいいという気持ちもあります。
本人の意思を尊重したい (スタビッチ・大阪・パートナー有・34歳)
Noといいながら、とても難しい問題だと思います。個人的には、家族に少しでも長生きしてもらいたので、その場になれば延命を求めてしまうかもしれません。脊椎小脳変性症などでも一時的に意識を取り戻すといった病気もあったり、呼吸が停止したのに息を吹き返したりと、人間のカラダは未知の可能性があると思います。家族が意識不明になって、臓器が止まってしまっても「もしや」にかけてみたいと思うのではないかと……。生きている間に、本人に聞いておくのは必要ですよね。
考える時間を与えてほしい (miracle・和歌山・パートナー有・44歳)
自分に関しては 延命治療はしてほしくないと 常日頃から家族には言っていますし、家族もそういう考えを持っています。ただ、家族がそういう状態になった場合、医療機関の方にお願いですが、状態の詳しい説明と、考える時間を与えてほしいです。誰もが即答できることではないので、命について心ある対応をお願いしたいです。
生きることの責任として (みりんご・東京・パートナー有・30歳)
ニュースを見ながら父が「万が一何かあっても延命治療はしないでね」と。この発言が発端で、家族で話し合いました。皆、延命治療は求めないという結論になりました。実際に愛する家族の死を目前にしたときに「もしかしたら元気になるかも」という葛藤で苦しむのだと思うのですが、残された家族が決断できるように、自分が元気なうちに自分の死について、書面などで法的にも不備がないように家族に意志を伝え残すことも、現代に生きる者としての責任なのかなと考えました。
自由や意思が尊重される? (pinkcat・東京)
医療の現場に近い場所に長らくいます。救命「されてしまう」と、命の終え方を選べないことがあまりにも多いと思います。その1つの理由に、持つ医療情報の差があるのだと思います。それゆえに、国民への幼い頃からの健康教育や権利・義務についての教育が必要だと考えます。情報提供と選択の仕方の説明と支援が適切になされるなら、延命に意味があるなら、延命治療の選択もあり得ますが、そうでなければ、単なる延命はしないでもらうと思います。
3日目の円卓会議の議論は...
本人の意志と意識
今週の「アエラ」(2006年4月10日号)を読んでいたら、「呼吸器はずしは悪いのか」という記事がありました。そのなかに、安楽死や尊厳死についての、「おおまかな4分類」が出ていました。
薬物中毒などで死亡させる「積極的な安楽死」、苦痛を取り除くための薬物投与の副作用として死期が早まる「間接的安楽死」、人工呼吸器をはずすなど延命治療を中止する「消極的安楽死」、患者が事前に延命治療を拒否する意志を文書で記し、医師がそれを尊重する「尊厳死」。
なるほど、いま私たちが議論しているのは、「消極的安楽死」と、そういう苦渋の選択を家族や医師にさせないための「尊厳死」ということになるわけですね。もちろん、分類したところで、答えが出てくるわけではないのですが、医療の発達によって、延命治療の問題もふえているとすれば、本人の意志を明確に示しておく「尊厳死」に、もっと注目すべきかもしれませんね。
また、みなさんの投稿を読みながら思ったのは、延命治療の是非を考えるひとつのカギは本人の意識ではないか、ということです。尊厳死は本人の意志ですが、本人に意識がない場合、家族の納得があれば、延命治療の中止は容認されるように思います。ただ、本人に意識のある場合、できるだけ長く生きてほしいという願いと、延命治療の苦しみを自覚しているわけですから、早く楽にさせてあげたいという願いとの間で、葛藤が続くように思います。
前者の場合を考えてみましょう。「家族の納得があれば」と書きましたが、それでは、どんな場合、家族の納得が得られるのでしょうか。もう2度と意識が戻らないという実感が得られる時間がまず必要でしょう。それだけでなく、何をしても反応がないといった肉体がかぎりなく死に近いという実感がほしい気もします。
後者の場合はどうでしょうか。本人の明確な意志があれば尊厳死ですが、苦しみの中での発言を明確な意志といえるのかどうか、判断に苦しむと思います。
ところで、医療費がもっともかかるのは、終末医療だといわれます。延命治療の状態は、家族に精神的な負担だけでなく、経済的な負担も与えるということなのでしょう。延命治療をするかどうかの判断で、経済的な負担をどう考えたらいいのか、みなさんの意見をお待ちします。
高成田享
朝日新聞石巻支局長
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