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商業主義にのみ込まれた「お歳暮」「お歳暮にNo」という人が、「贈ります」派の5倍の票を獲得。流れは変わっていませんね。ただ今日の投稿を拝見していて新たな発見をしました。お歳暮を贈らない、あるいはやめた理由に、相手によって「お返し」を強いることになり、それがお互いの負担になりかねないということがあるということです。これって年賀状も同じですよね。年賀状だけのやりとりが続いている関係で、年に1度の近況報告だけでもつながっていることを喜べる場合と、そろそろやめにしたいけど、相手から来るからやめられないというようなことがあります。 Miyacoさんの投稿に「虚礼廃止」とありましたが、本来は、一人ひとりが自分の気持ちを表すものとして始まったはずのお歳暮や年賀状なのに、いつのまにか形骸化して、単なる慣習となり、負担に感じたり、好ましくないと思うようになったりする。これってどういうことなんでしょう。社会全体が「当然のごとく」扱うことで虚礼になっていくのか、それとも、昨日フィンさんが「デパートの商品を売るための策略のような気がしてならない」と書いていたように、商業主義に対する反発なのでしょうか(バレンタインデーなどは、比較的新しいイベントだと思うけれど、日本の商業主義のせいで、今はかえって反発をする人が多くなっていますよね)。 お歳暮そのものがけっして悪しき習慣ではなかったはずなのに、みなさんの投稿を読む限り、多くの人がなんとなく悪いイメージをもっているように感じるのですが、その理由を知りたいと思います。また、お歳暮という慣習をもっと前向きにとらえて活用しているという方もいらっしゃると思います。イー・ウーマンでは少数派かもしれませんが、お歳暮「贈ります」派の方たちの考え方や「上手な活用術」も教えてほしいですね。たとえば、贈る品物は毎年決まったものにして、自分の存在をアピールしているのか、それともその年ごとに変化を加えて、新鮮さを強調しているのでしょうか。虚礼と思われずに、今年1年の感謝の気持ちを上手に表現する贈り方、教えてください。 |
生活経済ジャーナリスト |
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