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大人になって再読して初めてわかったこと
いろいろな方が、子どものころに読んで夢中になった魅力と、大人になって再読した味わいが違うことを書いていらっしゃいますね! 実はわたしもそうでした。初めて読んだのは14歳の時、アンの気持ちになりきって物語の世界に没頭しました。その後、大人になってから翻訳を依頼されて再読し、また初めて原書で読んでみたところ、アンの視点ではなく、彼女を育てるマリラとマシューの気持ちに寄りそっている自分に気がついたのです。 つまり、素直に愛情を表現できず、いかめしく、兄マシューと2人きりで孤独に生きてきたマリラが、一風変わった孤児のアンを育てる日々の中で、アンの明るさ、生き生きとした好奇心、ユーモアに触れて、心が温かくほぐれていき、世界に目を向けていく感動的なプロセスに、わたしも胸打たれたのです。さらに幼かったアンを、賢く、愛情深く、独特の美しさのある立派な娘へと育てあげたマリラの誇らしさと喜び、と同時にクィーン学院進学のためにアンが家を出ていく朝の悲しみと寂しさを訳す時は、わたしもマリラと一緒になって泣きました。 『赤毛のアン』は、アンという子どもの成長を描いているだけでなく、世間知らずで人付き合いも苦手だった50代の中年女マリラが、アンによって人間として成熟していく姿を確かに描いているからこそ、世代をこえて多くの人々の心を打つのだと思います。 また大人になって再読すると、モンゴメリが物語の冒頭で、まだ幼いアンをなんとも愛らしく描写していることに気がつき、彼女のおしゃまなかわいさ、いとけなさを際立たせるように、単語の一つ一つの訳語の選び方も工夫しました。 さらに忘れられないのは、マシューの存在です。マシューも口下手、人嫌いの60代の独身男でしたが、アンを育てることによって、生まれて初めて人を愛する喜び、人から愛される喜びを知って、幸福な大人へと生まれ変わっていきます。彼は、どんなことがあってもアンの味方になり、アンを無条件に受けいれる寛容な心を持っています。彼がアンを目に入れても痛くないほどかわいがる様子は、子どもを愛する一つの秘訣を教えてくれます。 また良き隣人レイチェル・リンド夫人の親切なお節介も頼もしいものです。12人の子どもを生んだリンド夫人が、アンの不登校など、困った時に相談に乗って智恵を出してくれたからこそ、子育ての経験がないマシューとマリラも心強かったと思います。 ちなみに、マシューはイエスの12使徒マタイの英語名、アンは聖母マリアの母アンナの英語名、レイチェルはヤコブの妻ラケルの英語名であり、マリラは聖母マリアから派生した名前です。つまりこの4人はキリスト教の中心人物の名前がつけられていて、神の愛によって結ばれていることを示唆しているのです。 これまで5回実施した『赤毛のアン』の英語セミナーでは、マシューとアンの交流、アンとリンド夫人の交流、アンとマリラの交流をテーマにしましたが、来月10月のセミナーでは、アンとダイアナの友情をテーマにして、それが描かれた章を3つ読んでいきます。 10代に読んだときは、あたりまえのように感じたアンとダイアナの何げない遊びの風景ですが、40代になった今では、遠いものになった少女時代の友達付き合いが、なんとも懐かしく、郷愁とともに、しみじみと尊いものに感じられます。 オママゴトめいたお茶会ごっこ、一緒に登校、下校する道中の楽しさ、声をあわせて歌をうたい、野原で花をつむ。また空想のお化けの話をして怖くなったり、互いの髪を結っておしゃれをしたり、秘密の手紙をやりとりし、お菓子をつくって失敗したり、編み物を教えてあげたり……。 もう二度と帰らない少女時代の輝きが、すこやかに息付いていて、自分の子ども時代を振り返りながら読んでいると、また目がうるんできます。月曜日(9/6)にも書きましたが、アンとダイアナの友情と少女時代の輝きもまた、『赤毛のアン』のかけがえのない魅力だと思います。 さて、今日は大人になった今、ダイアナとアンの友情にどんな魅力を感じるのか、お聞かせください。 |
作家 翻訳家 |
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